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NOWOW.....

The world is changing day by day at a violent speed.
If you try to define that world according to a particular theme,
you are bound to fail.
I believe that there is a world that lies half-hidden in the spaces
between images that appear utterly unrelated to one another.
Before your eyes,Those ambiguous, nearly invisible presences
begin to connect with each other.
Borderless.
Endless.


世界は猛烈なスピードで日々変化し続けている。
もしも、その世界を相手にテーマなんてものを決め込んだら、
間違いなくしっぺ返しをくらう。
まるで無関係の様な写真と写真の間に、
僅かに見え隠れする世界?らしきものを信じたい。
その極めて曖昧で、消え入りそうな存在が、やがて繋がり始める。
ボーダーレス。
エンドレス。

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NOWOW

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NOWOWNOWOWNOWOW
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NOWOW
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ジャックと豆の木......

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BankArt LifeIIIを見た。
中身はやたら健康的で、前向き?な感じでびっくり。
3.11以降のこの時期だからか、つい一回目のBankArt展と比較してしまった。
いまインターネットが世界の闇をいぶり出している。
本来、途方もない遥か彼方のことが、一瞬にしてコンタクト出来てしまうネットマジック!
とても便利なことなのに、なぜか気持ちのおさまりが良くないのは、なぜだ?
きっと世の中が変わったのだ。なんせこの自分が、MacBook Proでブログの記事を書いている。
そしてその傍らにはiphone4が......。

世界のシステムが確実に変わりつつある。そして自分のシステムも。
でも出かけて実際見るという行為は、以前と変わらない。生の行為だ。
そのことが、おさまりの悪さなのか。
旧富士銀行のあの空間はすごかった。
その壁面のすごさと喧嘩しながら溶け込むアート作品たちはすごかった。
きっとモノたちは、あるいは我々も、そういった居場所を失いつつあるのかも知れない。
闇がほしい。危なさがほしい。リアルがほしい。

帰りのシャトルバスを待っていたら、目の前の網に絡まる植物が空に向かってのびていた。
ジャックと豆の木のジャックは、どんどん登って雲の上までいったっけ?
すっかり忘れてしまったが、なんか未知のものを無性に見たくなった。


『ちょっと』のこと

前回からの続きなのだが、3,11後、かなりの人達が瓦礫の風景を撮っている。
そこが故郷である人も、そうでない人もおびただしい数の人達が、
それぞれの『理由』をもとに現地に出かけている。
あいにく自分はまだ瓦礫の風景は撮っていない。多分この先も撮らないと思う。
理由は、普段からそういうポイントで写真を撮っていないからだ。
ポイントが違うと言うことは、心の『もちよう』が違うということだ。
最近、ある作家の写真展をみた。その中に彼の地元の被災地のシリーズがあったが、
いつもの写真のテーストとまるで違っていた。
写真が違っていた。何かが違っていた。
生まれ育った土地だから........?

世界は日々混沌として予測不能の世界。その奥行きはまったくのクエッション!
だとしたらカッコ良く丸腰で向き合いたい。僅かな予感だけを頼りに。
なんて言ってるからその大半は負けて帰ることになる(笑)。
それでも時々ちょっとだけ何かがやって来る。
大事なことは、その『ちょっと』を見逃さないようにすることだ。
出来ることはそれだけ。
その『ちょっと』と出会うために、たくさんの無駄?を食らう。
なので、その何気ない『ちょっと』を待つことは、
すごく度胸がいることでもある。

人の写真を見る時に、その『ちょっと』をさがす。
そして、その『ちょっと』が見つかると暫くその前に立ち止まる。
最近、そんな写真と出会った。



写真が息づいていること

今日は朝から雨。
一日に写真展をいくつか見るという、自分にしては珍しいことをしてみた。
最初の『1223現代絵画』だけ決めて、後はまったく未定のまま外に出る。
日頃カメラを持って気ままに撮り歩く気分に似てるが、
何故かこの日は手ぶら。

写真展を複数渡り歩くと、そこに行きつくまでの街の空気とギャラリーの空気
が、あるところで繋がり始める。
それはおそらく、本来、写真というものが外部と何処かで繋がっている
という性格からくるものだと思う。

もっと勝手に言えば、外に開かれた写真が好きだ。
そこに辿りつくまでの息づかいをサラリと吸い取ってしまうような
何気ない写真の強さが好きだ。
もしも突然眼にした風景のほうが写真より勝っていたら、
一体どんな気持ちでその写真を見ればいいんだろう。

長島有里枝の、鈍い光の中でわずかに揺れたコスモスの写真が
そんな自分の息づかいをサラリと吸い取ってくれた。
何気ない写真って、実は度胸がいる。